中国にはまった理由

1988年の春、ぼくとKは新婚旅行を予約しょうと旅行代理店を回っていた。

ぼくたちが希望する旅先は中国。

ところがこの春、上海郊外で高知県の修学旅行生が乗っていた列車が転覆し、おおぜいの生徒さんが死傷するという事故があった。
そのニュースを見て、中国行きのパックツアーを申込んでいた人たちが次々に予約をキャンセルした。

パックツアーは「ツアー催行人数」が決まっていて、その数に達しないと旅行が中止される。

ぼくたちは「成昆鉄道の旅」というパックツアーに申し込みをしていた。

このツアーは、四川省成都から雲南省の昆明行きの山岳鉄道の車中泊を最大の目玉にする旅行のはずだった。

成昆鉄道は全長1100km。何重ものループ線を通って大きな山脈を越え、四川省から雲南省に至り、沿線の景色は絶景なのだという。

けれども、ツアー催行人数に達せず。

ど うにも諦めがつかず、旅行代理店を数店回って、鉄道を利用する中国旅行を探し回った。しかし、鉄道の旅がふくまれるツアーは、ほとんどがキャンセル。ツアーが決行されそうなものはおどろくほど代金が高い豪華旅行ばかりで、ぼくたちの用意できる予算では参加できなかった。

予算の範囲内でツアー催行となりそうなのは、定番の観光地を回るツアーばかりだった。

1988年の5月。


ぼくとKは「北京・西安・桂林・上海7日間の旅」に参加した。
生まれて初めての海外旅行で、飛行機に乗ったのも生まれて初めて。

中国の定番観光地を組み合わせた総花的でじつにせわしない旅行だった。
今思えば、このツアーに参加して良かった。

お かげで、中国の魅力に触れることができた。中国は色々な顔を持っていて、それらに触れることがとても楽しい。

中国の歴史の奥深さを目の当たりにしたの は、北京と西安。
紫禁城、天安門広場、明の十三陵、万里の長城、兵馬俑、大雁塔、空海ゆかりの青龍寺など、教科書で習ったことを自分の目で見る驚きと感 激ときたらない。

桂林ではスケールの大きな自然に目を奪われ続けた。
半日近くにおよぶ舟下りをしながら、自然が創りだした奇観に圧倒された。雨が降って、雲で霞む景色。「水墨画」は、じつに写実画だとわかった。

歴史的建築物や雄大な景色は、確かにすばらしかった。







けど、ぼくたちにはそれら以上の驚きに出くわした。

1988年というと「改革開放」が始まって、中国にはすさまじい勢いで西洋の文化が入り込み始めていた。

ぼくたちは、はからずもその一端を北京のホテルで目の当たりにした。
北京に着いて最初の宿はシェラトン長城飯店。
ここで度肝を抜かれてしまった。


ワシが羽を広げているような堂々とした外観。キンキラキンで、大きな吹き抜けが豪華なロビー。
アメリカンサイズの広い部屋、大きなベッドや豪華な設備に感激。CNNはじめアメリカの放送局を中心に、30チャンネル以上も映るテレビに驚き、ホテル内のレストランに行けば食事をしているのはアメリカ人だらけ。あちこちで英語が飛び交っていて、アメリカのチャイナタウンにいるみたい。行った事ないけれども。


ああ、これが「世界」なのだ、と何やら訳の分からない感慨をおぼえた。
中国に来て、いきなりアメリカ文化の典型とも言えるシェラトンホテルに泊まることになるとは。大量のアメリカ人を目撃するのも初めてだった。
笑わないでほしい。古い文明が残る国で、アメリカに遭遇するとは。
なんとも不思議なカルチャー・ショックだった。

そして、上海。



じつは上海の観光に当てられた時間はわずか半日。

豫園と外灘(バンド)を見て土産物店に行って、あっという間に終わっちゃった。
ところが、旅を通じていちばん印象深かったのが、バスの中から眺めた上海の風景だった。
上海は、「ブレードランナー」のロスアンゼルスみたいだ。1988年の上海の街は、ブレードランナーの舞台となる2039年のロスアンゼルスによく似ているように思えた。かつて<魔都>と呼ばれた頃の残滓が色濃くあった。
当時、中国の改革開放政策は、おもに広東省で展開しており、上海には改革の波はまだ及んでいなかった。

上海は、街ぜんたいがくすんで見えた。
ものすごい数の人たち(まるで初詣の明治神宮のように通りを埋めるおそるべき人波!)が信号などものともせずに早足で往来し、古くて汚れたバスやトローリーが人を満載して繁華街を走り、そのすぐ脇を自転車人がたくさん行き交っていた。




街の至るところで見かける、過去の繁栄の名残がかろうじて見て取れる、うらぶれた洋館。かつて租界だった頃、海の向こうから渡ってきた富豪たちが豪勢な暮らしをしていた建物は、共同アパートとして使われているらしい。部屋から突き出た竿に、洗濯物が翻っている。

そうした景色がとても魅力的だった。

街のあちこちから、抗いがたい磁力が発せられていた。
北京や西安とはまったく異なる雰囲気で、<中国っぽさ>も希薄だった。
ああ、この街にもっと長い時間、滞在していたい。時間をかけて街のあちこちを歩いてみたい。
後ろ髪を引かれつつ、帰国のときはあっという間にやってきた。


新婚旅行は終わって、ぼくたちは東京に戻った。

すると、東京の景色が違って見えた。
なんてつまらない街なんだろう。
表層はキレイで整って見える東京が、なんだか薄っぺらで安っぽく思えて仕方なかった。

上海の街並を想った。


だから半年後の11月に、航空券+ホテルのフリーツアーを使って上海に出かけた。
租界時代の建物をリノベーションした
錦江飯店に泊まって、

どきどきしながら街なかを探検した。

香港資本の広東料理の店に入った。何の食べ物かさっぱりわからない繁体字のメニューに四苦八苦して食事をして、和平飯店のジャズバーや、当時の上海には1軒しかなかった(らしい)ドリップコーヒーを出す喫茶店に行ったりした。
さらにその1年後、結婚1周年を祝って、再び上海に出かけた。
で、以後、何度も足を運ぶことになった。かくして、ぼくらは上海に、そして中国に囚われてしまった。





ぼくたちが中国にどうしようもなく惹かれる理由は何だろう?
旅をしながら、ふと考えたりする。

ひとつ、スゴいことに出会える。
中国では、ぼくたちが持っていく日本のモノサシがまるで通用しないことが驚きであり、楽しい。
遺跡や歴史的な建造物や自然遺産は、スケールが違う・・・というのはありがちな話だけど、ぼくたちは、発展のスピードや想像を絶する変化を絶えず目撃することに驚く。
ひとつ、食事が楽しめる。
旅から帰ると、かならず数キロ体重を増やしてしまう。

ひとつ、「何とかなる」こと。
中国では色々なことがうまく行かない場合がある。だけど、最終的にはきちんと解決する。

ひとつ、人。
中国人には辟易することもあるけれども、思いがけず親切さに触れて、感激することもある。

つまるところ、<未知との遭遇>なんだと思う。
訪れるたびに新鮮な驚きに触れる。それが楽しくて楽しくて。
かくして、ぼくたちはほぼ毎年のように中国、さらに香港や台湾に出かけるようになった。
そして、いつも思いがけないできごとに遭遇してりして、一向に飽きない。

だけど、きっかけとなった成昆鉄道には、まだ乗っていないのです。